空間と、

 

手のしごと

石井すみ子|工芸デザイン
石井直人 |陶芸
大室桃生 |パートドベール
金森正起 |金工
小澄正雄 |硝子
新宮州三 |木漆芸
土屋美恵子|織
日置路花 |書

 

11月16日(土)ー 25日(月)
開廊 11時ー18時
休廊 火曜
在廊 金森正起11月16日(土)

 

夏至
〒380-0841 長野県長野市大門町54 2階
電話 026-237-2367
mail info@geshi.jp

https://www.geshi.jp

空間と、手のしごと。

手仕事は時代と離れ、今、良いものは山のようにある。それでも私は人間の生(なま)、愚直な仕事に今も尚惹かれ続けている。今展では、8人の作家、8種の素材による手のしごとをご紹介したい。
彼らが制作する作品・製品は、とても個人的なものだ。もちろん訓練は受けた上、個の思考、個の身体の動き、個の身体感覚が宿っている。植物、土、鉱物、金属、樹木等を素材とし、主な動力は自身の身体。何を作ろうか巡らせる時間から始まり、多くの手間を要する仕事を選んでいる。
使ってみるとそれらは少しずつ表情を変え、いずれは朽ちて行くものもあるだろう。素描や轆轤のように、手早さが美しさに繋がる表現もある。手間と質は決してイコールでは無い。けれども彼らが作業を繰り返しながら身体に慣らし、制作に多くの手順を踏んだ時間は、そのまま愛着の質や長さへと繋がるのではないか。
空間に飾り愛でる。卓上でのひとときを愉しむ。次はゆっくりと私たちの身体に馴染ませ、少し新しくなった空間を味わうことにしよう。

 

石井すみ子 工芸デザイン
出展|苧麻布座布団、草枕、天竺野蚕絹布刺し子上衣、手紡ぎ手織り布エプロン 他
日常の中、雫の様に落ちてくるものをかたちにと、自然の恵みと、人の手や心により生み出される手仕事のものづくりをしている。和紙、苧麻、玉紗、草や藁などの素材に着目し、建築空間を”住まう”という内側より思考。石井が提案する生活品は、隅々まで手仕事にて拵えており、住空間を芳醇なものへと導いてくれる。

石井直人 陶芸
出展|織部バン、鉢鍋、汲出、掛花入 他
田園に囲まれた京丹波の里山にて作陶。自身の道は”土”にあると感じ、農耕生活、伊賀土楽窯での修業を経、現土地を開墾。古民家を移築し、登り窯を築窯する。人間の住空間を超え、風土や土の呼吸を感じるやきものである。そのやきものは勿論、人柄に魅了され、年に一度の窯焚きを心待ちにするファンは多い。

大室桃生 パートドベール
出展|照明、小さなカップ
パートドベールが持つ多様な表現を活かした、ランプシェードや器物を制作。大室が描く色彩の透明感、図柄の愛らしさは、多くの人々を魅了している。実用と装飾、クラシックと現代性、工芸的な連続性と自由に描く夢世界。両者が共存する作品は、日常空間を夢想空間へと誘う装置のようである。

金森正起 金工
出展|銀器、照明、小家具、網造形作品 他
鉄鋼業を営む家庭に生まれ、鍛冶屋を巡り、鉄の造形作家に弟子入り。鍛金、鋳造、旋盤、溶接‥‥と金属加工のあらゆる技法を自在に用い、建築金物から生活道具、造形作品まで幅広く制作する。鉄やアルミと言った工業素材による食器、一点ものの琺瑯器など、新しい金属器を提案。土のように、不思議と空間を和らげる作品である。

小澄正雄 硝子
出展|オイルランプ、晩秋の食器、小瓶 他
江戸期に花咲く日本硝子、”びいどろ”と称されていた西欧硝子。その美しい姿の根にある当時の製法から探求し、制作。型吹き硝子は凛と姿が立ち、宙吹き硝子はこっくりとまろやか。室内へと心が向かう晩秋の頃、机上、卓上の小空間を愉しむ硝子器を出展してくれる。

新宮州三 木漆芸
出展|漆盆 他
自身の手と刃物を道具とする、刳りもの仕事を中心に制作。それらは力強く一見無骨だが、どこか雅な香りを感ずる作品からは、中世・江戸漆器への繊細な眼差しが窺える。新宮作品を空間に置くと、その眼差しの先にある古の”手と時”が顕れるようである。

土屋美恵子 織
出展|タオル、ストール、数寄屋袋、他 手紡ぎ手織り布を仕立てた製品を中心に(主に自社栽培した綿花を使用)
私たちは実は作品の本当の始まりを知らない。種を撒き、綿花を栽培し、綿花から糸を紡ぎ、糸を織機に掛け、布にする。命が生まれるところから、人々の道具となるまで、全てを。命と手による生活品が住空間にあること、それは縁側や土間に似ていて、自然と共に在ることを思い出させてくれる。

日置路花 書
出展|掛軸、書
「 本当にたくさん書くのよ、たくさんたくさん書くの。 」
文字は伝達のための道具であるけれど、同時に人をどうしようもなく顕してしまう。路花さんは、本人曰く”ボロ紙”に様々な詩文を書く。上手にならぬよう、何枚も何枚も。薄茶色の紙の上には確かに路花さんが居て、私はいつまでもいつまでも眺めてしまうのだ。